週刊本吉研究室⑫9月13日号『宿題の教育的意義』

私は宿題が嫌いだ。子供の頃から今に至るまで、まともに出したことがない。小学校の時は、宿題をサボりすぎて家まで電話がかかってきたこともある。現在書いているブログも、提出期限は昨日だった。本当に申し訳ありません。

そんな宿題が今、見直されてきている。とある研究によると、「宿題には効果がない」らしい。ここでいう「効果」とは、おそらく学習の理解度のことであろう。たしかに、ひたすら漢字をノートに書き写すことや、計算ドリルを何冊もやることで、本当に学習が深まるのだろうかと思う。そのため、近年では宿題を出さない学校も存在するらしい。

しかし、宿題をしなかった私が言うのもなんだが、宿題は出した方がいいと私は思う。なぜなら、少しくらい嫌なことがあるほうが人生は楽しいからだ。

先月、私は今までの人生で一番暇な時間を過ごした。時々、友達と遊び、寝て、食って、パチンコに出かける毎日を送った。既に働き始めている同級生からすれば、このような生活は本当に羨ましいだろう。私の同級生の多くは、少なくとも週5日は働かなくてはいけないのだから。しかし、そんな自堕落な生活は私にとって、本当に面白くなかった。暇すぎるが故に、生きてる実感が全くないのだ。大学院を辞めて働き出そうかということさえ頭をよぎった。ないものねだりとは、まさにこのことだろう。その生活を送る中で、ある程度の忙しさは生きていく上で必要不可欠なのではないかと実感した。

ここで、この記事を読んでいる皆様に小学生の夏休みのことを思い出して欲しい。皆様の夏休みはいかがだったでしょうか。その楽しい思い出はもしかしたら、宿題という嫌な存在によって支えられていたのかもしれません。宿題は、「人生楽しいことばかりじゃない」ということを教えてくれるありがたいものかもしれません。

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