週刊本吉研究室㉔12月6日号『九月の実習にて』
皆さんいかがお過ごしでしょうか。私は、ただでさえ体調を崩しやすいのに感染性胃腸炎に罹患して意識が朦朧としておりました。皆さんも焼き鳥には十分注意されてください。
さて、今回は「実習での印象的な出来事」をいくつか紹介していきたいと思います。六月の実習は一週間だったのに対して九月の実習は一カ月。生徒と長く過ごすことで六月には気づかなかった実態に気づくことが出来ました。
例えば、私の授業を受けていた中学三年生の女の子。六月の実習では筆記・作文が苦手である、という印象が強かったため「ひらがなの練習をしなければならない」という考えから、授業に筆記プリントを設けていました。しかし、授業を行い日々の生活の様子も観察する中で「筆記が苦手なのではなく、文法にやや困難があるだけ」ということに気づきました。私は彼女の潜在的能力を低めに設定していたことになり、その思い込みから授業設計を続けていたことを非常に反省しました。
結果、「文法に特化したプリント➡作文の練習」という流れへ大幅に変更。やはり、最初と最後の授業では彼女の表情が全く異なっていたのでやり方が間違っていたのだなと、最終日まで反省と気づきがありました。連絡帳にて「“作文の授業が楽しい。書けてうれしい。”と家でもよく言っている」と保護者さんからコメントが来るほど授業に取り組んでくれたようで、少し泣きました(嬉しかったので)。
また、授業は担当していなかったものの、クラスで横につくことが多かった中学三年生の男の子は少しの刺激で発作を起こすことが多く、倒れてしまうので常に一緒にいなければと気を張っていました。実際六月の実習中も何度も倒れてしまい、反応できなかったことを猛省していたため九月は余計緊張していたかもしれません。
しかしながら、九月の実習中、その子が机にふせていたのを見て「先生、すみません、発作が起きてしまったかもしれません!」と慌てて担任の教員に連絡した際「あ!○○くん、次の授業が嫌だから寝たふりしてる!起こしてみてごらん、発作とは違うから」と返されました。「いや、そんな、まさか」とは思いつつ声をかけるとのそり、普通に起き上がりました。
担任の先生曰く「彼も普通の学生と一緒でさぼりたいって思うこともある。でもそれは障害があるからと言って許していいわけじゃない、彼のためにもさぼってしまうのはいけないことだし、寝たふりで先生をだまそうとするのはもっといけないことだとしっかり教えてあげようね」とのことでした。確かにどこかで障害があるからと叱ることに躊躇してしまうことが多々ありました。それこそ、彼らを健常児と区別していることになり失礼に当たる、教育者としてはあまり褒められたものではないと意識を変えるきっかけになったと思います。
実態を把握して、児童のニーズに合わせた指導を。教育の基本ですがやはりそれは長期間一緒にいないと見えてこないものもあります。授業の実践もできましたし、生徒との交流も楽しみ、お手紙をもらって、涙のお別れもしました。その一つ一つの経験が大切な思い出です。将来何かに挫折することがあっても実習中に力を注いで一つの授業を作り、生徒の笑顔と一緒に過ごせたことは大きな支えになると思います。
書きたいことが多すぎて長くなってしまいました。とても濃厚な九月でしたが、もうそこから二カ月以上が過ぎ、何なら年末がすぐそこに迫っています。いつになっても季節の変わり目は寂しいものです。年々時間の流れが速く感じるようになっている気もしますが…。皆さんも暖かくしてお過ごしください。それでは。