週刊本吉研究室㉖1月14日号『「聞こえない」の中のコミュニティ』

こんにちは!前回のブログを書いたときは夏真っ最中で熱中症のことを記事にしたのに、すっかり冬になり、寒さに凍えています。


 今回は、最近まで放送されていたドラマ「silent」を見ていて思ったことを記事にしたいと思います。皆さんはこのドラマを見ていましたか?このドラマは、主人公の女の子と、その恋人だった男の子と耳が聞こえなくなってから再会し、それからの2人とその2人を取り囲む周りの人々のお話です。

 そのお話の中で、男の子が耳が聞こえなくなる過程が描かれている場面がありました。男の子は高校生までは通常に耳が聞こえていたけど、大学生になってから徐々に聞こえづらくなっていきます。聞こえづらくなってからは、仲間と声でコミュニケーションをとりながらしなければならないため、好きだったサッカーをやめざるを得なくなったり、大学での講義を満足に受けることができなかったり、様々な葛藤が描かれていました。


 とても印象的だった場面は、男の子と耳が聞こえない女の子がやり取りする場面です。女の子は耳が生まれつき聞こえないため、聾学校に通ったり手話ができたりと聞こえない中でもコミュニティがあって生き生きとしていますが、男の子は聞こえていた音がどんどん聞こえなくなって不自由さが増し、コミュニティを自ら断ち切るなどで辛い思いをしていました。女の子は「耳が聞こえない」ということがあたりまえになっていたけど、男の子は「耳が聞こえない」ことを受け入れられずにいてその女の子に強くあたってしまいます。

 この場面から、以前の授業で「ろう」と「難聴」について学習したことを思い出しました。主なコミュニケーション手段として手話を使っている人をろう者」、手話は使わずに補聴器を使うなどしてコミュニケーションをとる人を難聴者」と呼びます。ドラマに当てはめて考えてみると、女の子が「ろう者」、男の子が「聴者」となります。

 「聞こえる人」と「聞こえない人」で区別し、それぞれの中でコミュニティをつくりがちですが、「聞こえない」中でも見えない壁のようなものがあり、コミュニティがつくられるということを感じさせられました。「聞こえない」を同じものとしてかかわるのでなく、それらのコミュニティがあるということを理解したうえで関わることが求められると思いました。

 

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