週刊本吉研究室⑦7月26日号『共生社会の一員に』
こんにちは。6月に梅雨明け宣言がされたにもかかわらず、7月前半は雨ばかりで、ようやく夏らしい晴れた暑い日が増えてきました。皆様いかがお過ごしでしょうか。
今回、「週刊本吉研究室」の記事を担当させていただくことになったのですが、この記事が掲載される日が7月26日ということもあり、今回は相模原障害者施設殺傷事件について紹介させていただきたいと思います。
2016年7月26日未明、神奈川県にある知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」にて起きた、園の入居者19名の命が奪われ、入居者・職員計26名が重軽傷を負う事件から今年で6年となります。
当時中学生だった私にとっても、衝撃的な事件でしたので、よく覚えています。みなさんは、この事件の報道にて、「内なる優生思想」という言葉をお聞きになったことがありますか?まず、『優生思想』とは、身体的、精神的に秀でた能力を有する者の遺伝子を保護し、逆にこれらの能力に劣っている者の遺伝子を排除して、優秀な人類を後世に遺そうという思想のことです。
では、「内なる優生思想」とはどのようなことなのかと言いますと、人であれば誰にでも誰の心にも「優生思想」が内在しているということだと考えられます。誰にでもあるだなんて本当に?と思うかもしれません。しかし、遺伝子云々の話ではなくとも、あの人よりも自分の方が存在価値が高いとか、○○さんよりも△△さんの方が能力が高いとか、人間の中で優劣を見出してしまうような考えは、実は身近にあることなのだと思います。
誰にでもあるこの考え方をあってはならないものだと否定することはできません。重要なのは、それが行き過ぎてしまって間違った考え方や行動に結びついてしまう前に阻止することだと思います。
人間が極限に追い込まれたとき、ピンチに直面したとき、自分が優位である、人に気付かれない、といったある条件がそろうと、間違った考え方に走っても自分では気付かずにそのまま突き進んでしまうことがあります。初めは誰にでもあるような考え方であったはずなのに、進むにつれて危険で過激な考え方になってしまったとしてもそのままアクセルを踏み続けて直進し、最悪の場合大きな事故が起こるのだと考えます。
では、そうなってしまう前にどのようにすれば良いのでしょうか。1つは、「ブレーキ」を踏むということが考えられます。自分でも気付かないくらいに行き過ぎてしまう前に、一度アクセルから足を離して考えてみることが必要だと思います。そうすることで、自分の考えが行き過ぎていたことに気が付き、ハンドルを切って引き返すこともできます。
また、道は決して一本道では無いとも思います。アクセルを強く踏み込む前に、いくつかある分岐点で「方向転換」することもできるのです。あれ、もしかしたらこの道違うかもな、別の考え方の方が正しいかもな、と分岐点に気が付くことが必要なのだと思います。
車の運転に例えて考えてみましたが、何の練習も無しに上手に運転できる人などいません。その練習をする場所こそ「学校」であり、教育が大きな役割を担っているのだと私は考えています。一度立ち止まって考えたり、別の考えに変換したりすること、それを初めから自分1人でできる人はいないと思います。自分以外の誰かと話したり、教師の言葉を聞いたりして「ブレーキ」の踏み方や、引き返し方、分岐点に気が付いて「方向転換」する方法を学んでいくのだと思います。
多様な人間が暮らす「共生」が実現された社会には、きっと上手に運転できる人で溢れているのだと思います。教育の現場にこれから携わっていくにあたって、自分自身の感覚も定期的にメンテナンスを行い、理想の社会の一員になれたら、と願うばかりです。
以上、今週の週刊本吉研究室でした。
拙い文章でしたが、最後までご覧いただきありがとうございました!