週刊本吉研究室⑮9月27日号『教育・社会・個人について考えたこと』
(1)まえがき
学問、教育ということを仕事にしています。
学問と教育が生業であるという何とも不思議な状況で生活させていただいております。
「本来、学問と教育は、余裕がある人が長期目線でどっしりと構えて取り組む、美しく、力強く、活力にあふれる営みである」※“余裕がある状態”は様々
と思っています。
だから、私のような貧弱な未熟者が様々な人や物事との交流の中にいて、生物として必要なエネルギーをいただいたり、トランスフォームに必要な情報・力・きっかけをいただいたりしながら、学問と教育に関わらせていただいていることには、本当に感謝しています。
報恩感謝。
ありがとうございます。
(2)教育について考える
ところで、そういうよちよち歩きの日々の中で、教育とはどういう営みであるかということを私なりに考えます。
私は様々な文化の中でも、スポーツが好きなのでそのことに例えて考えてみました。
教育を受けずにいるということはどういうことなのだろう??
- ルールを知らずにフィールドに放り込まれている状態
- ルールを知らないで得点することは難しいし継続力がない
- ルールを知らないで自分を方向付けることはできない
- 活動の醍醐味を知らないのは勿体無い
- いつの間にか自分に不利になる行動をしていることがある
- 悪意はなく他のプレーヤーを妨げていることがある
- 軽はずみに他のプレーヤーの選手生命を絶つようなことをしていることがある
- 本質を理解しないので虚しく周囲に流される
- 共有が難しく、独りよがりになる
そうすると、教育を通して伝えたい、考えたいことはこういうことになりそうです。
➀ルールを知る
- ゴール
- 勝ち負けの基準
- 安全を守る方法
- ゴールするための手段
- ルールがある理由/背景
②楽しみ方を知る
- 時間をかけて築かれてきた共有の価値観
- 時間をかけて磨かれてきた美学
- 表現を豊かに、洗練させる過程を楽しむ
- コミュニケーション(他者と関係すること)を楽しむ
- 楽しむための手段を知る
- 楽しみ方の作法を知る
③自分の参加の仕方を考える
- 自分のポジション
- 自分の機能の仕方
- 自分が期待されていること
- 自分がめざしていること
- 具体的な参加の仕方
- 擦り合わせて自分をフィットさせる方法
④所属しているグループ(社会)について考える
- グループ(社会)のサイズ(小さい↔︎大きい)
- グループ(社会)の一体感(バラバラ↔︎統一)
- グループ(社会)の目標(勝利?交流を楽しむ?)
- グループ(社会)の価値観
- グループ(社会)の特徴と自分の適性
豊かに生きるために必要なことばかりだと思います。
目先の枝葉にとらわれて、根幹が見えなくなった結果、教育という豊かな営みが嫌いになったり、手段と目的を取り違えることが起きているような気がしています。
「楽しみ方ってたくさんあるし、うまくやる方法もたくさんあるし、人生ってどんどん良くしていけるから!」
私はそんな風に思っているところです。お花畑でしょうか。
(3)社会のあり方について考える
さて、教育について自分なりに俯瞰していくと、今度は社会の様子について考えたくなってきました。
私たちが生きている社会、めざしている社会はどういうものでしょう?
- 勝ち負けの結果、誰かが何かを獲得し、誰かが何かを失う社会?
- 勝ち負けがあり、得たものを勝者が好き放題に消費していく社会?
- 勝ち負けの結果、世の中を良くしていくための価値観や資源配分の仕方を決める権利が得られる社会?
- 負けた方はその存在すら認められない社会?
- 現状維持のために摩擦や衝突を避ける社会?
- 強烈な衝突や摩擦を繰り返して、犠牲を払いながらエネルギーやトランスフォームを生じさせる社会?
- 洗練された滑らかな交流で、適度なエネルギーや緩やかな変化が生じる社会?
- 衝突や摩擦の後に、恨みが残る社会?
- 衝突や摩擦の後は、ノーサイドの精神で讃えあえる社会?
どれが「正しい」とか「絶対」というのは私には判断できません。
バリエーションを知って、リスクを回避したり、いいとこ取りでバランスをとったりできないものだろうかと考えます。
良い社会ってどんな社会なんでしょうか。
そして、その社会のルールの中で生きていく個人にはどういう力が必要になるのでしょうか。
スポーツに例えている辺りまではまだいいのですが、この辺りの社会との関係を考え出すと、だんだん複雑になってきて考えるのがしんどくなってくるのが不思議です。
⇩記事は2に続きます。⑷個人の心構えについて考える